2011年04月03日
2011年4月2日(土) 隅田川テラス ウォーキング
2011年4月2日(土) 隅田川テラス ウォーキング
勝鬨橋から両国橋、そして神田川沿いに水道橋まで歩いて来ました。
勝鬨橋から両国橋、そして神田川沿いに水道橋まで歩いて来ました。
うす曇の天気でしたが、気温18度と暖かい日でした。
JR有楽町駅で下車し、晴海通りを勝鬨橋まで行きました。
勝鬨橋から隅田川テラスを上流に向かって両国橋までブラブラ歩いて来ました。
途中、公園など桜が咲いている場所では・・・・・・・
「地震発生に伴い、公園内の宴会は自粛お願いします」の立て看板があり
皆さん、少し遠慮気味に花見をされていました。
帰りは、隅田川テラスから離れて神田川沿いに御茶ノ水、水道橋まで歩き帰宅。
↓ 勝鬨橋
↓ 佃大橋
↓ 佃大橋を過ぎた辺りにカワウがいました・・・(カワウだと思う)
↓ 霊岸島水位観測所
-案内板より-
日本の水準原点を生んだ霊岸島水位観測所も、その後の東京湾の
埋め立てや隅田川の水の影響があり、水準原点の検証をするため
の観測所としては、理想的な位置とは言えなくなり、現在では
神奈川県三浦半島油壺の観測所にその機能が移されています。
中略・・・
観測所の3角形のフォルムは、土木や建築の設計図などに高さを
表す記号として用いられる▽をイメージし、その下端部はA.P.0m
を指し、その一辺の長さは観測所位置のある東経139°47′にちな
み13.947mとしています。
観測室については、斜方十二面体という形をしていて、川に沿って
視点を移動していくと正方形、正六角形、八角形と変化して見える
ものです。
↓ 中央大橋・・・矢印が霊岸島水位観測所
↓ 永代橋
-案内板より-
「復興は橋より」これが関東大震災後の復興事業の合言葉でした。
帝都を代表する隅田川の入口にあたる第一、第二橋梁は、筋骨隆々
とした男性的なイメージ(永代橋)と優美な下垂曲線を描く女性的
なイメージ(清洲橋)で演出されました。
↓ 隅田川大橋
↓ 清洲橋
↓ 新大橋
↓ 首都高速道路
↓ 両国橋
↓ JR総武線の鉄橋
↓ 神田川河口に架かる柳橋
↓ 柳橋欄干の「かんざし」飾り
-案内板より-
明治維新後、柳橋は新橋とともに花街として東京を代表するような
場所になり、新橋は各藩から出て政府の役人になった人々、柳橋は
江戸以来の商人や昔の旗本といった人々が集まる所であったようです。
中央区では平成3年度に、優美な形をしたこの橋を後世に伝えるため、
傷んだ親柱を復元し、欄干は花街に因んで「かんざし」を飾り、歩道
には御影石を貼って再生しました。
↓ 神田川(御茶ノ水方面)
以下は2011年1月4日、蔵前橋~桜橋まで歩いた時の記録です。
↓ 蔵前橋
↓ 厩橋
↓ 駒形橋
↓ 吾妻橋
↓ 言問橋
↓ 桜橋
↓ 隅田川とスカイツリー
JR有楽町駅で下車し、晴海通りを勝鬨橋まで行きました。
勝鬨橋から隅田川テラスを上流に向かって両国橋までブラブラ歩いて来ました。
途中、公園など桜が咲いている場所では・・・・・・・
「地震発生に伴い、公園内の宴会は自粛お願いします」の立て看板があり
皆さん、少し遠慮気味に花見をされていました。
帰りは、隅田川テラスから離れて神田川沿いに御茶ノ水、水道橋まで歩き帰宅。
↓ 勝鬨橋
↓ 佃大橋
↓ 佃大橋を過ぎた辺りにカワウがいました・・・(カワウだと思う)
↓ 霊岸島水位観測所
-案内板より-
日本の水準原点を生んだ霊岸島水位観測所も、その後の東京湾の
埋め立てや隅田川の水の影響があり、水準原点の検証をするため
の観測所としては、理想的な位置とは言えなくなり、現在では
神奈川県三浦半島油壺の観測所にその機能が移されています。
中略・・・
観測所の3角形のフォルムは、土木や建築の設計図などに高さを
表す記号として用いられる▽をイメージし、その下端部はA.P.0m
を指し、その一辺の長さは観測所位置のある東経139°47′にちな
み13.947mとしています。
観測室については、斜方十二面体という形をしていて、川に沿って
視点を移動していくと正方形、正六角形、八角形と変化して見える
ものです。
↓ 中央大橋・・・矢印が霊岸島水位観測所
↓ 永代橋
-案内板より-
「復興は橋より」これが関東大震災後の復興事業の合言葉でした。
帝都を代表する隅田川の入口にあたる第一、第二橋梁は、筋骨隆々
とした男性的なイメージ(永代橋)と優美な下垂曲線を描く女性的
なイメージ(清洲橋)で演出されました。
↓ 隅田川大橋
↓ 清洲橋
↓ 新大橋
↓ 首都高速道路
↓ 両国橋
↓ JR総武線の鉄橋
↓ 神田川河口に架かる柳橋
↓ 柳橋欄干の「かんざし」飾り
-案内板より-
明治維新後、柳橋は新橋とともに花街として東京を代表するような
場所になり、新橋は各藩から出て政府の役人になった人々、柳橋は
江戸以来の商人や昔の旗本といった人々が集まる所であったようです。
中央区では平成3年度に、優美な形をしたこの橋を後世に伝えるため、
傷んだ親柱を復元し、欄干は花街に因んで「かんざし」を飾り、歩道
には御影石を貼って再生しました。
↓ 神田川(御茶ノ水方面)
以下は2011年1月4日、蔵前橋~桜橋まで歩いた時の記録です。
↓ 蔵前橋
↓ 厩橋
↓ 駒形橋
↓ 吾妻橋
↓ 言問橋
↓ 桜橋
↓ 隅田川とスカイツリー
Posted by maruji at 21:32│Comments(0)
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